日本で通称「麻」と言われているのは大麻と苧麻である。大麻と苧麻は、木綿が普及し だしても、しばらくは日本人にとっては、身近な存在であった。
大麻は一年草でクワ科に属する。苧麻はイラクサ科の多年草で、毎年焼畑をし て新芽を出して育てる。
苧麻
苧麻は大麻と並び「日本の麻」として、長く日本人にとって親しまれてきた。
しかし、現在「麻」と言えば、ほとんどの人は紡績糸の麻しか思い浮かばず、 6000年ほど前から栽培され、大麻と共に昭和初期頃まで、手績みの糸を作って いた事はあまり知られていない。
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越後では、徳川幕府が、越後の問屋に納めさせた布は、「一ミリに糸が3か4本、績み目のわからないほどスムーズに繋げているか、
美事なること」という厳格な指定をして発注しています。(2012年「四大麻布」十日町博物館 図録参照)
江戸時代には、特定の地域で、極上の糸作り布づくりが行われていました。
奈良(奈良さらし)、越後(越後上布)、近江(高宮布)、越中(越中布)、琉球(宮古上布)は江戸時代の麻布の産地として、
量、質共に盛んで、それぞれの特徴を生かして鎬を削っていました。
特に「奈良晒し」と「越後上布」は、帷子と言われる貴族や武士、有力商人などの夏の着物で競っていました。
このように、発注する方も、納める方も、お互いに、品質基準を理解した上でのやり取りが成立していました。
高度な「文化」がそこにはありました